住み慣れた土地「福山」にお別れを

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住み慣れた土地「福山」にお別れを

広島県福山市は『住みやすい土地だなぁ』とシミジミ思います。

 

福山市は、山あり川あり海ありと自然豊かだと思います。

 

一方で、広島県で(広島市の次に)2番目に栄えている都市なので

利便性も非常に高い。

 

 

広島市も確かに栄えていますが、

広域すぎる(中区・西区・佐伯区・安佐南区・・などと広大すぎる)。

なので、良さが分散してるんですよね。

 

福山市は(第2の都市ではありますが)

狭いので色んな公共設備もギュッと集中している。

 

ハローワークや市役所にもすぐ行けるし、

福山で最大級な図書館も目と鼻の先です。

 

関連記事⇒『福山中央図書館(まなびの館ローズコム) | 都心の図書館とは思えない雰囲気! 設備も最高!

 

ゴミゴミしてないのに、設備が充実している。

この「自然豊か」と「利便性が高い」の2つが融合してるって意味で、

何となく広島の「宇品」を連想します。

 

宇品の、規模がでかくなったイメージ。

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花火大会

 

夏に開催される花火大会にも、かなりの頻度で観に行きました。

 

花火大会って

「メチャクチャ混むし、早く行かなきゃ良い席取れない」

ってイメージないですか?

 

まぁ、確かに(バイクですり抜けたりしなきゃ)混みますが、

福山の花火大会は芦田川の土手沿いなので、

ギリギリに会場へ到着しても、観覧場所に事欠かないんですよね。

 

どこからでも絶好の花火が拝める。

 

尾道も近いので何度か花火大会観に行きましたが、

やっぱ福山の花火大会が観やすいです。

 

あと、福山は鞆の浦でも花火大会やってます。

でもって鞆の浦の花火大会は「中四国で一番最初に開催される花火大会」って事で有名です。

 

鞆の浦は「崖の上のポニョ」の風景のモデルになった場所で有名ですが、

福山では「鞆の浦と福山中心部」の2回花火大会があるんですよね。

 

 

マジで雪が降らない

 

広島より岡山寄りということもあってか、

雪が積もることも年に1度くらいしかありません

(その分、積もった時は大渋滞ですが)。

 

基本バイク通勤でしたが

「雪が降ってバイクで通勤できなかった年」

って4・5回くらいしかありません。

 

基本的にバイク好きで、車持っていない年もあったので、すごく助かりましたね。

 

そうそう一緒に10数年間、駆け抜けてくれたマジェスティ―にも感謝です。

⇒『マジェスティ! 一緒に過ごした10年間! 沢山の思い出をありがとう!

 

 

私の近所

 

私が住んでいた、神辺・駅家付近は特に住みやすかったです。

 

職場からは20分の距離にあります。

 

広島市内に住む人む方は、通勤20分って普通じゃないですか?

 

そんなに驚くことではない。

 

ただ、福山では(特に)引っ越してきたにもかかわらず

「20分もかけて職場に通う」っていうのは珍しいみたい。

 

職場の人に「何でもっと職場の近くに住まないの」って

何人もに聞かれました。

 

そんな「離れた場所」に住もうと思った理由は以下の通り。

 

神辺・駅家付近の家賃が凄く安かったし、フジグラン近辺が凄く便利そうだった。

プライベートが楽しくなりそうだった。

 

特にフジグランには映画館が併設されていたので、

住み出した当初は頻繁に通ってましたね。

⇒『恋は雨上がりのように(久々に映画館へ行きました)

 

 

あと、フジグランに併設されていた以下なども魅力的だった。

  • スポーツジム(フィッタ神辺)
  • 温泉(ぐらんの湯)

⇒『ぐらんの湯(神辺にある温泉)が、素晴らしいと思う理由

 

スポーツジムは1年通ったり退会したりを繰り返しましたが、

スタジオレッスンでは「筋力トレーニングと有酸素運動を組み合わせたサーキットトレーニング」ハマって、その教室がある日は欠かさず通っていたのを覚えてます。

ピラティスやヨガも楽しかった。。

 

私のアパートから以下の距離まで、

いずれもバイクで5分以内の距離なので、用途に合わせて食材を購入出来ました。

  • ハローズ2件
  • エブリー

 

得にハローズには「0時まで空いてる本屋」や「ヤマダ電機」なども併設されていたので非常にお世話になりました。

関連記事⇒『ハローズ!今日は5倍デー

 

 

最後に、職場に感謝

 

最後に、十数年間働かせてもらった病院に感謝です。

 

ぶっちゃけ私は、

特別な能力を持っている人間ではありませんし、

人と比べて足りてないって思う点が多いと、

自分ではシミジミ思います。

 

誰が何と言おうと、そうなんです。

 

ですが、そんな私を

病院の皆は温かい目で育ててくれた。

仕事に協力してくれた。

仕事を任せてくれた。

 

福山での生活は「仕事」なしでは成り立たない訳ですが、

 

そんな「仕事」に恵まれていたからこそ、

長い年月を福山で過ごすことが出来ました。

 

本当に感謝です。

 

 

そして東京へ

 

最後に病院へ行った際、事務長から以下の言葉を頂きました。

 

また福山に寄ることもあるんだろう?

そんな時は、病院にも顔を出しなさい

 

私が東京へ行くにあたり、補助金申請の必要書類である『離職票』を、

事務長はメチャクチャ早く用意してくれていました。

 

私が「予定より、凄く早くもらえるんですね」と電話越しに驚くと、

「ハローワークに行く用事があったから、ついでに貰ってきた」と。

 

このやり取り、恐らく皆ピンと来ないと思いますが、

私だけの備忘録として残しておきます。

⇒『【備忘録①】退職後の病院とのやり取り(渡すもの・受け取るもの・サインするもの)

⇒『【備忘録②】退職後に私が行動すべき一連の流れについて

 

福山は私にとって第二の故郷。

また笑顔で職場にも顔を出したいですね。

 

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