軟部組織のマニピュレーションは古代の医学記録の中にも記載されており、理学療法のもっとも古い形態の一つである。
造られたのが2000年前とも4000年前とも言われているタイの石像にも、明らかに徒手療法を行っているものがある。
Hippocrates(BC460-380)は彼の著書「ヒポクラテス全集」の中で今日用いられているモビライゼーションの手技に相当する治療方法について記録している。
彼は関節について述べ、牽引とモビライゼーションを用いた骨折の整復方法、すなわち患部の緊張を取り除き手掌でそこを整復する方法について記述している。
中世のヨーロッパでは医学知識が全体的に衰退していった。そして、カトリックの教会が全ての治療の責任を負ったが、手術は禁じていた。
ルネッサンスの時代には、有名な医師であるAmbroise Pare(1510-1590)がマニピュレーションによる脱臼の治療方法について詳細を述べた。
17世紀になるとイギリスでは整骨(bone setting)が広く行われるようになった。整骨師(bone setters)の手技は専門家の家系の中で秘密にされ、代々伝えられていた。
彼らは四肢や脊柱のマニピュレーションによって正常の位置からずれた骨を元に戻すと信じていた。
実際に、古くから19世紀にいたるまで首尾一貫してマッサージやマニピュレーションについて医学書の中で唱えられてきたが、これら2つの違いに関しては必ずしも明確ではなかった。
ボストンのGraham(1884-1918)はマッサージは手で行ういかなる手技も含み、摩擦やマニュピュレーションはその例だと述べた。
ロンドンのWilliam Merrell(1853-1912)はマッサージを科学的なマニピュレーションによって疾病の特定の症状を治療する科学的方法と定義した。
「マッサージ」という用語は医学の歴史を通して、他動的可動域運動、モビライゼーション、そしてマニピュレーションを含む多くの意味を持つようになったのは明らかである。
いかなる場合においても、用語の意味はどうあれ、ヨーロッパでは多くのものがマニピュレーションや他動的運動について唱えていたが、従来の医学はこの考えを受け入れなかった。
アメリカ合衆国では2つの治療者の領域、すなわちオステオパス(整骨療法家:osteopaths)とカイロプラクター(脊柱指圧師:chiropractor)が発達した。
彼らは競い合ってきて、今日ではそれぞれ完全に独立している。
初期には両者ともマニピュレーションにより全ての疾病を治療すると主張した。
このことは医師を激怒させ、マニピュレーションは存続できるような治療手技ではないと軽視される原因となった。
20世紀になると徒手的な実践が科学として発展してきた。
20世紀初頭から1934年までの間に医学界では徒手的療法に関するいくつかの文献が出版された。
この時期は脊柱の手術手技の進歩もあった 1934年にMixterとBarrは、椎間板ヘルニアの外科的摘出術による坐骨神経痛の治療について発表した。
この後、医学的関心が全て外科に移り、椎間板が腰痛の主たる原因と考えられるようになった。
そして、マニピュレーションはオステオパスやカイロプラクティック、ほんのわずかな臨床医が行うだけとなった。
1950年代に入ると、徒手的療法にも新たな進歩が現れた。
1952年に医師James Mennelは「関節マニピュレーションの科学と芸術The science and art of joint manipulation」を著し、腰痛の原因として、椎間関節・組織の癒着・軟部組織の外傷性捻挫が関連していることを示した。
イギリスの整形外科医であるJames Cyriaxは、1957年に「整形外科教本第3版Textbook of orthopaedic medicine 3rd ed」を著し、軟部組織が原因の痛みと機能障害の診断と治療手技について述べた。
彼はほとんど全ての脊柱の痛みは椎間関節の破裂によって起こり、これはマニピュレーションと牽引によって改善できると信じていた。
彼は訓練され筋骨格系に関する専門的な知識・技術があると認められた理学療法士がマニピュレーションを使用することへの熱烈な支持者であった。
1960年代には医師Jhon Mennelは「関節痛 joint pain」を出版し、科学的な関節マニピュレーションを推進し、世界中に教えた。
医師Alan Stoddardは理学療法士にオステオパシーの手技を教え、彼の2冊の本「オステオパシーの実際 Osteopathic practice」と「オステオパシー手技Osteopathic technique」は徒手的療法士の重要な参考文献となっている。