1874年にAndrew Taylor Stillによりオステオパシーが創設された。
Stillはカンザス市の医科大学で医学を学んだ。
当時、患者について考える時間を持たない医学について憤りを覚えた非協調性主義者でもあった。
1874年6月22日、彼は「太陽の光が一気に破裂したように真実がわかり始めた」とオステオパシーを創始した。
Stillは患者を注意深く観察しながら、機械的ロックmechanical lockingまたは、他の原因で制限されていた関節が正常になったことにより、その患者の病気も改善したことを確認した。
Stillは神経・血液の流れのことについて「病気が人間の体に破壊の種を蒔きはじめてすぐにすぐに動脈の破壊が始まる。神経・靭帯・筋肉・皮膚・骨そして、動脈自身に栄養を供給している動脈の流れを破壊・停滞させる」と述べた。
例外なく全ての病気・変形を解決することを望んだ彼は、いくつかの動脈または静脈の中に一つまたはそれ以上の閉鎖部位を発見した。
「動脈の規則は完全なものであり普遍である。動脈は閉塞されてはならない。閉塞は病気を生む」と述べ、オステオパシーの間で「動脈の法則 The Law of the Artery」として知られることとなった。
オステオパシーの概念は以下の通り。
- 体は単一体
- 構造と機能は互いに関係している
- 体は単一体の特徴としての自然制御・機能と構造の相互作用に基づいて、合理的な治療を受けることで自然回復するメカニズムを持っている
オステオパシーは発展し医学の先端となっていった。
その結果、19世紀後半までに「すべてを治療する」という主張は少なくなった。
オステオパシー(D.O)は法令により、1928年までに軍隊の中で医師(M.D)と同等の権力を得た。
1970年までにそれぞれの州で同様な事が起き、今日ではマニピュレーションよりも医学的知識に専念している。
多くのオステオパシーの病院において、理学療法士がマニュピレーションを行い、あるところでは理学療法士がオステオパシーの指導もしている。
1989年、オステオパシーの分家William Garner Sutherlandは頭蓋縫合の複雑さ、構造に驚愕し、後に知られる頭蓋療法cranial osteopathyを考案した。
現在の頭蓋仙骨テクニックは、頭蓋のリズムcranial rhythmの機能不全の評価と、微妙な触診による治療のため、熟練した技術を必要としている。
現代ではマニピュレーションを使用するオステオパスは少ない。
そのため、マニュピレーションを必要とするときは理学療法士を雇っていることが多い。
疑いもなく現代医学の勉強に忙しく、熟練した徒手療法技術を学ぶ時間はない。
結果として多くのオステオパスがカイロプラクター、理学療法士に頼っている。
可動域制限に対して伝統的なマニピュレーションを使用するオステオパスもいる。
しかし、最も力のあるグループはMitchellの技術を継承したものであり、椎骨の変位に重点を置いている。
皮肉なことに、カイロプラクティックは位置の変位から運動制限に重点を置くようになったにも関わらず、オステオパシーはミシガン州を中心に卒後教育の中で位置の変位について強調している。
オステオパスは、他の医療従事者によるマニピュレーションの発展・利用に対して反対しなかった。
実際、多くの卓越したオステオパスが理学療法士に指導した。
そして、理学療法士から技術教育の要請を、オステオパシーの雑誌に掲載した。
※ここでいうオステオパシーの歴史は米国におけるものを指している
※ここでいうマニュピレーションとは「洗練された関節への他動運動 the skilled passive movement to a joint」を指している