この記事では、東洋医学における「生理物質」である神(しん)について解説していく。
神の概念
「神」という字には以下の意味がある。
昔から、「自然界だけでなく人間も人体の機能を支配・統制するもの」として神(不可思議な働きをするこころ)があると考えた。
つまり、神は「人間の意識や精神の活動」を指す。
具体的には意識・感情・記憶などの生命活動のことで、これらを主っているのは脳だけではなく、五臓の中にあり五臓が支配・統制していると考える。
そのため、東洋医学では五臓を重要視する。
神の分類
神は「五神」と「五志・七情」に分類される。
五神
神は五臓の中におさまっていて、それぞれに名称がある。
具体的には以下の通り。
- 肝におさまっているのは「魂」
- 心におさまっているのは「神」
- 脾におさまっているのは「意」
- 肺におさまっているのは「魄」
- 腎におさまっているのは「志」
上記の順番は五行色体表の通り。
魂(肝蔵魂)
魂は「評価・判断などの精神活動」を指す。
少しずつ発達し、働きも活発化していく。
人の死後、魂は肉体から離れて天に上る(陽性)。
肝が悪くなり魂の機能失調が現れると、イライラする、怒りっぽいなどの症状が出る。
神(心蔵神)
神は「身体活動及び精神活動を統率・制御する機能」を指す。
人体すべての生理活動と精神活動を主宰していると考えられている。
神の広義と狭義は以下の通り。
神 | 広義 |
最上位にあり他の神気を支配する。生命現象そのもので、生体のあらゆる活動を主宰(心拍動・呼吸・主義の動き・言語表現・顔の表情)。 |
狭義 | 生理活動・精神活動を主宰(意識・思考・記憶など) |
神の状態により以下となる。
神が安定 |
心身ともに健康・意識がはっきりしている、思考が安定している、反応も正常。 |
神が不安定 | 脈拍の不整、健忘、知覚異常、発狂、運動機能の異常 |
意(脾蔵意)
意には「思いや考え」という意味があり「思考・推測・注意力・記憶などの精神活動」を指す。
脾が悪くなり意の機能失調が現れると、考えがまとまらない・順序だてて話が出来ないなどの症状が出る。
魄(肺蔵魄)
魄は「感覚・運動・情志などの精神活動」を指し、
「人の死後、地上にとどまる」という意味がある。
魂は本能的感覚と動作を支配する。
魄は誕生とともに生体に備わっている機能である。たとえば、見る・聞く・感じるなどは魄の範囲に入る。
肺が悪くなり魄の機能失調が現れると、皮膚感覚の消失、味覚の鈍麻、幻覚・幻聴などの症状が出る。
志(腎蔵志)
志は「記憶の維持・施行を経験として蓄積するなど精神活動」を指す。
腎が悪くなり志の機能失調が現れると、物忘れや物事をやり遂げられないなどの症状が出る。
五志・七情
「怒・喜・思・憂・恐の5つの情動・情緒」を五志、
「怒・喜・思・憂・悲・恐・驚の7つの情動・情緒」を七情と呼ぶ。
この2つを合わせて情志と呼ぶ。
情志は疾病の原因とはならない。
しかし情志に対する刺激、すなわち精神的ストレスが(突然のもの・激烈なもの・あるいは長期間持続するものなど)生理的な許容範囲を超えたものであれば、その情志と関連する臓腑の機能が失調する。
逆に臓腑の機能が失調すると、その臓腑に関連する情志が出現しやすくなる。
怒⇒怒りで気が上がる(肝)
怒りは肝の気機に影響をおよぼす。激しい怒りは肝気を横逆(気機を乱すこと)させ上に上らせる。気が血を伴って逆上すれば、顔や目が赤くなり(赤目)吐血し、著しい場合は突然意識を失って倒れることもある。
喜⇒喜びで気がゆるむ(心)
喜びは心の気機に影響を及ぼす。本来、喜びは精神の緊張を緩和し、営衛の流れを浴して心情を伸びやかにする好ましい感情である。しかし、急激な喜びや過剰な喜びは心身を散漫にさせる。
思⇒思いで気が結ぶ(脾)
思いは脾(や心)の気機に影響を及ぼす。思いは脾から生じ心で作られる。よって思慮や心配が過ぎると、心が傷つき、脾気も損傷されて気機が悪くなる。気機が悪くなり流れが滞ると、脾の運化機能がさらに低下し、胃の受納と腐熟の機能も損なわれ、食欲不振や腹の膨満感、便溏(軟便)などの症状が現れる。
憂・悲⇒憂いや悲しみで気が消える(肺)
悲しみは肺の気機に影響をおよぼす。過度の憂い(心配)や悲しみは、肺を抑圧・撃沈させて肺気を消耗する。
恐⇒恐れで気が下がる(⇒腎の固摂作用低下により)
恐れは腎の気機に影響をおよぼす。強い恐れを抱けば、腎気が弱くなり気が下から出てしまう。激しい恐怖によっておこる二便の失禁がその例である。
驚⇒驚きで気が乱れる(心包ではなく腎)
驚きは腎(や心)の気機に影響をおよぼす。