「あん摩」の歴史

専門用語(マッサージ関連)

この記事では、あん摩の歴史について記載していく。

 

日本において「あん摩」が確立され、現在に至るまでに興味がある方は是非観覧してみてほしい。

 

日本では奈良時代から「あん摩」に関する記載があった

 

日本の文献において「按摩」の記載について確認できるのは、大宝律令が施行された奈良時代まで遡る。

 

そして江戸時代では、あん摩は視覚障害者の生業として盛んに行われていた経緯があり、その頃の風俗誌には杖を突いて笛を吹きながら流しを行う姿が描かれている。

 

その後により、晴眼者による「吉田流あん摩」が登場。

 

これにより、晴眼者の吉田流と視覚障害者の杉山流とで対時する一幕があったとされるが、その様な時代を乗り越えて、現在に至る。

 

 

明治以降にマッサージが入ってくる

 

明治維新以降、海外からマッサージが導入されたことにより「あん摩」は脅かされたものの、吉田久造は、あん摩術の存在意義について強く主張した(マッサージとは一線を画した別物であるとあん摩術の特異性を強調したとされている)。

 

その後、好余曲折を経ながらもマッサージの利点を採り入れ、現在、あん摩術は国家資格のあん摩マッサージ指圧師が行う施術として社会的に確立されたと言われている。

 

 

あん摩は中国から輸入された

 

按摩は、古典『黄帝内経』でも記述が見られる中国古来の養生法だと言われている。

 

マッサージは欧米から、あん摩は中国から導入され、指圧のみが日本で発案された治療法だと言われている。

 

明時代からは推掌(すいな)と呼ばれ、鍼灸とならぶ医療として体系化されていった。

 

日本には5世紀頃、朝鮮半島を経由して按摩が伝来。江戸時代の鎖国を経て、日本独自の形で発達していく。

 

推拿とは「推=手を一方向へ推し進める」「拿=手でつかみあげる」という意味。中国では推拿でも失敗の予防治療を行っており、推拿師・保険推拿師・推拿医師という資格がある。
 
厳密には、古代インドの医療的体操術が最古のあん摩といわれている。古代中国では導引按蹻として発達した。導引按蹻とは、「中人用いて養神調気の正道となす」といわれ、筋骨を揺がし支節を動かすこと(導引)と皮肉を抑按し手足を捷挙する(按蹻)から成っている。
 
 

「あん摩」の歴史【一覧表】

 

最後に、日本に「あん摩」が伝来してからの歴史(主に書物)を一覧にして終わりにする。

 

285年(応神天皇16年) 導引按蹻が中国から伝来。
701年(大宝元年)

「大宝令」の医事制度の一分科として宮内省典薬寮に按摩博士、按摩師、按摩生を設置。傷折、判縛などの治療も実施。

984年(永観2年)

丹波康頼が『医心方』を編纂。

脚気や養生に対するあん摩の有効性について記載。

1648(慶安元年) 林正旦が『導引体要』を著す。我が国最初のあん摩・導引専門
書。
1692(元禄5年) 竹中通庵が『古今養生録』を著す。導引による養生法について記載。香月牛山が『婦人寿草』を著す。按腹の応用について記載。
1703(元禄16年) 香月牛山が『小児必用養育草』を著す。乳操みについて記載。
1707年(宝永4年) 大久保道古が『古今導引集』を著す。あん摩の入門書として発刊。
1712年(正徳2年) 寺島良安が『和漢三才図会』を編纂。あん摩についての方法などを記載。
1713年(正徳3年) 宮脇仲策が『導引口訣鈔』を著す。初めてのあん摩解説書として発刊。
喜多村利旦が『導引體要』『導引體要附録』を著す。各導引法の図解。解説を記載。
1715年(正徳5年) 芝田祐祥が『養生俗解集』を著す。食後や繁忙時の胸腹按摩について記載。
1729年(享保14年) 香川修庵が『一本堂行余医言』を著す。治療としてあん摩を用いた最初の書。
1766年(明和3年) 賀川玄悦が『産論』を著す。産科でのあん摩の応用方法を記載。
1775年(安永4年) 賀川玄迪が『産論翼』を著す。『産論』を継承した産科でのあん摩の応用方法を記載。
1799年(寛政11年) 藤林良伯が『按摩手引』を著す。あん摩の手技を体系化し発刊。
1827年(文政10年) 太田晋斎が『按腹図解』を著す。あん摩の手技を図解化し発刊。

 

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