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3年目6月:学校でのパワハラ「資格でも持ってんの?事件」について

学生生活 - 3年目

学校生活3年目6月。

 

目次

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当校を語る上で、外せないエピソードが出来た

 

当校では前期・後期の実技テスト時に「感想文」を提出するシステムになっている。

で、今回「ある事件」が起こったため、それを感想文にして告発しようと思い下書きを作成した。

 

ただし、実際は感想文にすることを取りやめた。

 

取りやめた理由は、(感想文を作成する当日に)当事者講師から「感想文は今後の実技授業に活かす目的がある。ただし、内容に関してはブログではないのだから節度を持った発言を記載するように」との発言があったためだ。

 

もちろん、ブログ基調ではない内容に修正することも可能であったが、以下の可能性も考慮して日和ってしまった。

 

感想文の影響で、当事者講師に反感を買うことによる弊害(成績に影響・授業を受けにくくなる)が生じる可能性がある。

 

ただし、絶対に忘れたくない出来事であったため、備忘録として、ここに記載する。

 

内容は以下の通り。

 

3年生の実技授業では、前半では○○手技に時間が割かれたこともあってか、授業内容で卒後にも臨床の役に立つと感じられる新たな知見・技術は少なかったです。

 

一方で、以下の公開説教を受けたことは強く印象に残っており、卒業後に○○学校を語る上で外せない出来事となりそうです。

 

それは、「ペアになって私がベーシック手技の練習をしている最中に、○○講師が突如目の前に現れて、私を含めた全員に語り始めた内容」で、具体的には以下の通りです。

 

講師おまえ、全然できていない」(すみません)「講師全然できてないよ、何か資格持ってんの?」(私:・・・どうして、そう思われるのでしょう?)「講師・・あん?・・・」(5~10秒程の沈黙が起こる⇒他クラスメイト彼は理学療法士です)「講師ほー、資格持ってんのか。どうせ学校には矯正だけ学べれば良いやって気持ちで入ってきたんだろ?」(・・いや、そんなことは無いのですが・・・)「講師いーや、矯正だけ学べれば良いって思ってるだろ? なあ? なあ?」(・・・・いや、そんなことは・・・・まぁ・・・はい、そうです・・)「講師多いんだよ、鍼灸師やら柔整師やら資格を持っている奴らで矯正だけ学べれば良いって考えて入学してくる奴ら。こういう分かった気になっている奴が、卒業したら一番危ない。事故を起こす。」(・・・はい)・・・・以降も云云かんぬん仰ってましたが割愛します。

ここでは、客観的事実のみ記載しましたが、この際の私がどう感じたかについての「主観」は他で情報発信していきたいと考えています。

 

・・・・・以下は事件と関係ない内容が続くため割愛・・・・・

 

上記の出来事が起こった際は、自身の感情はぐっと殺して、講師が気分よく発言・指導するのを従順に「はい」「はい」と従っていた。

 

また後に、私の対応に対して授業後にクラスメートからは以下のように褒められた。

  • 君は凄く大人の対応をしたと思う。自分だったら出来るかどうかわからない
  • (先生)凄かったね。自分だったらメンタル崩壊してると思う

 

ただ・・・実際は、講師に対する失望と哀れみの感情で一杯でした。もちろん、イラついた感情もあった。

で、こういうイライラした際は出来事を列挙することで感情が落ち着くことを知っていたので、授業後すぐに出来事の一部始終をメモしておいた。

 

なので上記は、その時の場面をかなりの精度で再現できていると思う。

内容は、可能な限り客観的な内容とするため、授業を受けた他同級生とも会話をすることで出来事の内容をすり合わせしてある。

上記内容は「事実のみを列挙した内容」であり「私の主観」は一切入っていない点は、観覧してもらえば分かると思う。

 

でもって、ここから先の記事は、私の主観も交えた内容となり、ここまでと重複した内容も含まれるため、「事実ベースの概要をザックリ把握したかっただけ」であれば、ここで記事を閉じてほしい。

 

学校でのパワハラについて(残念な講師)

 

パワハラ(パワーハラスメント)とは以下を指す。

 

パワーハラスメント(和製英語: power harassment)とは、職場内虐待の一つ。職場内の優位性を利用した、主に社会的な地位の強い者(政治家、会社社長、上司、役員、大学教授など)による、「自らの権力や立場を利用した嫌がらせ」のことである。

~ウィキペディアより引用~

 

今回、「実技の手技の出来が悪い」ということで、実技講師に公開説教を受た。

ただ「果たして自分以外であっても公開説教をされただろうか」と考えると、答えはNOだ。

※「他のクラスメートの出来が悪かった場合」では「その場で個人的にアドバイス・修正をしてあげて終わりな案件」だと思う。

 

手技療法の世界なため、これを「叱咤激励」と捉えるか「パワハラ」と捉えるかは人それぞれだと思うが、私はパワハラと判定したので記事にしている。

 

 

パワハラの内容(客観的事実のみ記載)

 

実技授業で受けたパワハラについて、まずは客観的事実のみ記載にしていく(冒頭の内容とほぼ重複している)。

 

実技授業で、ペアになってベーシック手技の練習をしている最中に、実技講師が突如目の前に現れて、私を含めた全員に対して以下のように語り始めた。

 

講師:おまえ、全然できていない

 

私:あぁ、すみませんm(__)m

 

講師:全然できてないよ、何か資格持ってんの?

 

私:・・・どうして、そう思われるのでしょう?

 

講師:・・あん?・・・

 

・・・・5~10秒の沈黙・・・・

 

他クラスメイト:彼は理学療法士です

 

講師ほー、資格持ってんのか。どうせ学校には矯正だけ学べれば良いやって気持ちで入ってきたんだろ?

 

私:・・いや、そんなことは無いのですが・・・(汗)

 

講師:いや、矯正だけ学べれば良いって思ってるだろ?  なあ?  なあ?

 

私:・・・・いや、そんなことは・・・・まぁ・・・はい、そうです・・m(__)m

 

講師:多いんだよ、鍼灸師やら柔整師やら資格を持っている奴らで矯正だけ学べれば良いって考えて入学してくる奴ら。こういう分かった気になっている奴が、卒業したら一番危ない。事故を起こす。

 

私:・・・はい、すみませんm(__)m

 

・・・・以降も云云かんぬんと講師は言っていたが、独善的で決めつけも甚だしい内容がメチャクチャ入っていたので聞くに堪えなかった。

 

ここから先は、この発言を受けての「主観」を記載していく。

 

 

私の主観

 

ここから先は、私の主観を述べていく。

ただし、あくまで私の主観なだけで講師本人に確認した訳ではないので、この点には注意して観覧してほしい。

 

発言①:全然だめ、何?資格とか持ってんの?

「資格持ってるか」を、この場面で聞く必要はあるのだろうか?

単純に、どこがダメかを(公開説教という形ではなく)実際に正しい方法を見せてくれたり個別に指摘してくれるなどしてくれれば良いだけではないだろうか?

 

っというか、実際、他の(手技が出来ていない)人達にはそういう対応していただろう?

明らかに、その場の感情任せに標的を定めて、公開説教している感じだった。

 

つまりは、公開説教の理由が「(他の生徒と同様に)手技が出来ていなかったから」だけでなく、他に講師をイラつかせる要因があったと考えるのが妥当だ(でなければ、私と同じように、皆が公開説教される羽目になる)。

 

そして、その「何か」とは「私が臨床でのアレンジなども加えつつ練習をしていたこと」ではないかと推察する。

そういう何かしらの要素が誘因となって「何?資格持ってんの」という発言が出てきたのではと考える。

 

普通の文脈では「全然だめ」の後に続く言葉は「やる気あるのか」や「ちゃんと覚えるよう努力しろ」「不真面目なら、帰れ」などの言葉が自然ではないだろうか。

つまりは、「全然だめ」の後に「資格持ってんの?」が続くのは明らかに不自然だということだ。

 

だからこそ私は、その真意を確かめるべく「なぜ私が資格を保有していると思ったのか」を問うたのだ。

 

すると講師は、一瞬言葉に窮していたが、クラスメイトが(余計な渡り舟として)「彼は理学療法士~」と話を進めてしまったのが残念でならない。

 

その発言で流れが作られたため、結局、私の推論は証明されることなくスルーされたまま

 

「ほー資格持ってんのか。・・・云々かんぬん・・・」と続くことになった訳だ。

 

 

発言②どうせ矯正の方法だけ学べれば良いと思ってんだろう?なあ?なあ?

私が入学した動機について「矯正を学ぶためだけに入学してきたのだろう」と滅茶苦茶な決めつけをしていた。

 

医療に携わる者として、決めつけは厳禁だ。

あらゆる可能性を考慮して「自身の考えは本当に正しいのだろうか・もっと最善の解決策はないだろうか」などと自問自答することで患者へベターな治療が選択できるのだ。

つまりは「自身を俯瞰的に見つめる能力=メタ認知能力」が医療従事者には必要不可欠という訳だ。

 

そして普段から臨床でメタ認知を働かせながら臨床をしている人物ならば、日常生活においても、他者を「自身の勝手な決めつけ」で判断しなくなる。

 

「限りなく黒に近いグレー」であったとしても「黒である」とは断言せず「、ましてや「決めつけを言語化する」なんてことは有り得ない。

※細木数子のように「あなた○○しなければ地獄へ落ちるわよ」などと思い込み・主観で決めつけるようなペテン師・詐欺師なら話は別だが。

 

では当事者講師の場合を考えてみよう。

私のバックグランド(今までどういう生き方をしてきたのか、どんな働き方をしたのか、リハビリをする際にどういった思考をベースにしているのかなど)を1mmも理解していないにも関わらず「自身の曇ったフィルター越し」に私という人間を決めつけている。

 

そして私が「・・いや・・そんなことは無いのですが・・・」とやんわり否定しても、そこで自己内省することなく、私の言葉を全否定しつつ「いや、矯正だけ学べれば良いと思っているだろ?なぁ、なぁ」とヤクザが詰めるように畳みかけてきた。

 

この時点で、講師に「医療従事者に必要なメタ認知能力」は皆無だと印象を受けたため、その私が何を言おうと「自分の思い込みだけ」で畳みかけてくると判断したため、以下の様に発言した。

 

「・・・いや、そんなことは・・・・まぁ・・・はい、そうです・・m(__)m」

 

 

圧倒的な決めつけ・思い込み

(開業しているケースであるならば)これらを前提とした施術が、時として患者を良い方向へ導くこともある。

ポジティブに考えるとすると、この講師は「医療従事者」というより、上記の「圧倒的な決めつけ・思い込み」の類で成功してきた人物なのかもしれない

※この記事の趣旨と外れるので、ここから更に深堀することは割愛する。

 

ちなみに、プロフィールでも記載したように、私が学校へ入学した理由は以下の通り。

  • 訪問マッサージをするために資格が欲しかった
  • 治療技術はすでに有しているので、人を癒すためのマッサージスキルが欲しかった(矯正は不要。やっている人の気が知れない。もっと軟部組織に対する癒し系の手技が学びたかった)。
  • 3年間補助金を受けながら生活が可能なので、仕事は気にせず自由気ままな3年間を送ってリフレッシュをしたかった。
念のため断っておくが、この際の実技練習は「ベーシック手技の練習」をしている最中であり、矯正(高速度低振幅手技)とは無縁な練習をしている最中の出来事である。

 

1mmも矯正を学びたいなどと思ってはいなかったし、今でも矯正(高速度低振幅手技)には否定的だ(矯正も学ぶ学校なので、この点はあまり主張しないが)。

今は遊び半分でクラスメイトと「練習と称して背骨をバキボキと鳴らして楽しむ」っということはするが、あくまで遊びの一環。

必要性が無いので、卒後に臨床で使用することは無いだろう。

頸椎矯正(高速度低振幅手技)に関しては、病院に勤めていた際、整体院などで矯正を受けたことによる不調を訴えてリハビリをしに来る人を何人も知っていたことも否定的である根拠の一つ。特別授業で授業をしてくれた卒業生も「誰とは言わないが、教師に首の矯正をされて、今でも首の調子が悪い」と言っていた(サンプル1だが卒業生・在校生でも矯正にネガティブな印象を持っている人間は少なくない)。学校でも中高年には非適用な場合が多いと解説されていますが、整体・治療院のメインターゲットとなるのは中高年なためリスクは常に付きまというということになる。

ちなみに、講師が矯正手技が上手なのは、「普段から患者に使っている」というのも影響しているが、若い学生(脊柱の退行変性が少ない)に対して指導と称して何度も実施していることは間違いなく影響している。講師自身が「おまえらー、練習しろ。なんで俺が上手かわかるか。手技を常々使ってるからだよ」と言っていたことからも明らかだ。人間、使用しない手技は出来なくなっていくもの。(授業という名目で)お金をもらって矯正スキルを維持できているのだから、他の施術家より上手なのは当たりまえ。何も凄いことではない。一方で、学生の立場で考えた場合、「卒後に使いそうもない手技」は頑張っても無駄となる可能性は覚えておこう(どうせ、使わないから出来なくなる)。時間に余裕があるのならともかく、時間がタイトならば、より有意義に時間を使った方が良い。

※私の場合は「将来矯正しない」とは言いつつも、遊びとして背部矯正は休憩時間中にやったりしているが(ただ、頸椎はやらない)。

 

発言③こういう中途半端に出来ていると思い込んでいる奴が一番危険

続いて、以下の発言について考察していく。

多いんだよ、鍼灸師やら柔整師やら資格を持っている奴らで矯正だけ学べれば良いって考えて入学してくる奴ら。こういう分かった気になっている奴が、卒業したら一番危ない。事故を起こす。

 

これも「鍼灸師・柔整師というグループに個人を当てはめて施行を一般化させる」という頭の悪い人にありがちな決めつけだ(ちなみに私は理学療法士だ。さっき同級生が言っただろう?ちゃんと話を聞けよ)。

 

よくも自信満々に上記の様な決めつけで発言できるなと感心する。

 

次に、「こういう奴が卒業したら一番危ない・事故を起こす」という発言について。

 

もしあなたが、実技練習中に「こういう奴が卒業したら一番危ない・事故を起こす」と皆の前で公開説教されたら、どんな気持ちがするだろうか?

 

チョッピリ傷つくだろうか?

 

その場をイメージしてみてほしい。

 

コレって、、、「普通の人であれば言われればかなりメンタルやられる発言」なのではと感じる。

 

中には「自分はセラピストに向いていないのではないか」「学校をやめたほうが良いのではないか」と思う人がいてもおかしくはない。

 

幸い私は、リスク管理を十分する側の人間だし、10年以上臨床に携わる中で、大きな事故はもちろんのこと、クレームに発展したことも一度もない。

 

そういう「事実に裏打ちされた自信」があるので、この講師の戯言で傷つくことは無い(怒りこそMaxに達しそうになったが)。

 

しかし、私の様な実績・ポジティブ体験がない人であればどうだっただろう?

 

臨床経験が無い人間にとって、こんなカス講師の言葉は非常に重みがある。

 

っとするならば、この発言は「一人の学生を人生を摘んでしまってもおかしくない発言」ではないだろうか?

 

繰り返しになるが、理学療法士というのは「効果・結果を出す前に、まずはリスク管理」だ。

「術後」や「悪化リスクが非常に高い」といった人達も多く診るので、この辺りはあん摩マッサージ指圧師学校より徹底している。

※あん摩マッサージの実技授業では「健常人(あるいは軽症者)を想定しての練習(重症者には個別対応するようにと付け加えられるだけ)」っというのがメインだ(疾患別も学ぶが、メインのベーシック操作はコレ)。

 

っていうか、書き起こしていて気付いたが、生徒に対して「こういう奴」って。

もうちょっと丁寧な言葉のチョイスがあるだろう?

 

 

誤解してほしくない点

 

誤解してほしくないのは、多くの先生方は非常に思いやりのある良い先生ばかりだという点。

だからこそ、この当事者講師の態度が残念でならなかった。

 

唯一、この講師の言葉で納得できたのは「俺は有資格者だろうが、指導態度を変えるこをはしない」という発言だ。

 

ただし、この学校の教員で「有資格者かどうかで、何か態度を変える先生」は、そもそも存在しない。

 

なので講師の言葉は、逆に「有資格者を意識している」と捉えられても不思議ではない発言だと感じた。

 

意識しているからこそ、こういう言葉が出てくるのだ。

 

例えば、そもそも意識していない相手に「私は、君を意識したことは一度も無い」などと(聞かれてもいないのに)発言するケースでは、実際は意識している可能性が高いのと同じ。

 

繰り返しになるが、この学校の教師人は有資格者かどうかで接し方を変えるようなことはない(有資格者だからといって優遇することもないし、敵意をむき出しにして差別することもない。平等に接してくれる)。

 

この講師の様に「自身が気に入らない学生を公開説教する(逆に言えば、自身の気に入った生徒には優しく指導する)」などということも無い。

 

この点は学校の名誉のために、フェアに強調して記載しておく。

 

この講師の名誉など知ったことではないし、事実ベースでしか述べてないので、この記事を作成している。

 

 

終わりに

 

今回は「実技授業時に起きた客観的事実」と「出来事に対する私の主観」を記載した。

 

しかし、立場が変われば見方も変わる。

 

ここでは私の主観も記載しているが、講師の視点からすると全く違う主観も見えてくるだろう(客観的事実からある程度推察可能であるが、それだけでは全貌は見えてこない)。

 

講師は「卒後の修業時代に、かなり辛い目に合っていたこと」を(ここに記載した公開説教に付随して)誇らしそうに話していた。

 

あたかも「授業は、これくらいの説教をしてもムカつかれる筋合いはない。自身も当然のように耐えてきたから今がある」と言わんばかりだ。

 

「虐待された子は、自身の子を虐待する。そして虐待に対して疑問を抱かない」とどこかできいたことがあるが、今回の出来事から「自身の指導・言動は適切かどうか」をメタ認知しながら行動しているようには見えなかった。

 

つまりは、悪意は無いのかもしれない。

 

ただ、そうであるなら講師失格だ。

 

さっさと辞めたほうが良い。

 

 

今回のエピソードで学んだこと

 

今回のエピソードは、このブログで一番ネガティブな内容になったかもしれない。

 

ただ、このエピソードから得るものもあった。

 

「こんなに自分の主観だけで他者を決めつけて、自身の思い込みだけで物事を語る人物」が世の中に存在するということを知った。

 

この講師は漫画のキャラクターのようだった。

現実では出会ったことのない珍種に出会った感覚。

様々な人との出会いで「世の中には、色んな価値観・考え方をもった人がいる」というのを分かった気ではいたが、まだまだ人生経験が足りなかったと実感したし、そいういう意味で良い経験が出来た。

 

「強い感情を伴って覚えた記憶」というのは忘れにくいと言われている。

 

幸いにも、この記憶は私にとって(いらだちの感情を伴う記憶ではあるものの)マイナスに働く記憶とはならない。

 

何故なら、今までの臨床経験を通じて「クライアントから見た自分」が既に確立されているから(関連記事は以下など)。

 

~追記~

 

あの短時間で、一生モノの手技感覚・記憶をもらえたと思うと、価値のある出来事であったと感じる。

 

コップに半分の水が入っていたと仮定する。その際、

  • あなたは「まだ半分もある」ととらえますか?
  • それとも「もう半分しかない」ととらえますか?

 

同じ事象が起こっても、それをどう捉えかは自分次第。

このエピソードを様々な感情・経験ともに、自分の糧にしていきたい!!

 

この講師に感謝の気持ちは一切無いが、このエピソードは今後の人生で有意義に活用してく!!

 

 

関連記事

 

以下は、「入学直前」「1年生」「2年生」「3年生」における日記・備忘録を記した記事をまとめてある。

 

入学前の日記

 

 

1年生の日記

 

 

2年生の日記

 

 

3年生の日記

 

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